About Richard Gasquet


Richard Gasquet
リシャール・ガスケ

       生年月日:1986/6/18
       国籍:フランス
       出身地:ベジエ
       居住地:スイス、ヌーシャルテル
       身長:185cm
       体重:75kg (おそらくもう少し重い)
       使用ラケット:HEAD
  着用ウェア:ルコック・スポルティフ(2014シーズンより)
       シューズ:アシックス
       コーチ:セバスチャン・グロージャン、セルジ・ブルゲラ(2014. 2~)


美術館に収蔵するべきだと思う(とある人のツイッターより)ぐらい美しいシングルバックハンドを武器に、緩急自在にボールを操り、天才的なプレーで魅了する、フランスのテニスプレイヤー。元祖(?)”ベイビー・フェデラー”
利き手は右。特徴、なで肩。長いまつ毛。脚は若干人より短い。がに股。グリップテープをかなり頻繁に巻きかえる。サーブ時は必ずポイントを獲ったボールを要求する。ガッツポーズがちょっとかっこ悪い。(それもまた愛おしい。)

セリニャン(Serignan)でテニスクラブを経営する父(Francis)と、4歳からテニスを始める。母(Maryse)もテニスコーチ。9歳の時にフランスの『Tennis Magazine』の表紙を飾る。元テニスプレイヤーのPierre Barthes氏にその才能を見出された。(ATPサイトより)

2002年 
全仏と全米のジュニアチャンピオンとなり、同年のジュニアNo.1になる。この年、プロへ転向。

2004年
同じフランスのタチアナ・ゴロビンと出場した、全仏オープンのミックスダブルスで優勝。ゴロビンちゃんとはお付き合いしていたのでは?とのもっぱらの噂だったらしい。

2005年
4月モンテカルロ大会の準々決勝で当時世界No,1のロジャー・フェデラーに勝利。その後、6月ノッティンガム大会でツアー初優勝を飾る。7月、デビスカップにデビュー(準々決勝、対ロシア)

2006年
10月メス大会でファブリス・サントロとダブルスでツアー初優勝。

2007年 (ここから私の思い出も含まれます)
ウィンブルドンの準々決勝でアンディ・ロディックに2set downから逆転勝利し、初めてのグランドスラム準決勝に進出。フェデラーに敗れる。ここで世界ランキング7位となる。
10月ジャパン・オープンに、フェデラーが体調不良による欠場となり、急遽ダビド・フェレールと共に初参戦。当時は女子も同時開催で、水曜日にビーナスを見てみたいと思って有明に行った私が、たまたまガスケのプレーに遭遇し、そのキレキレのバックハンドに魅せられる(会場全体が「ぉおぉっ」となった瞬間は忘れられない)。決勝でフェレールに敗れる。
年間ランキング8位となり、11月、初めての最終戦に出場(上海)。ラファエル・ナダルとの開幕戦は敗戦。ノバク・ジョコビッチに勝利するも、フェレールに敗れ、ラウンドロビンで敗退。

2008年
ウィンブルドンの4回戦で、アンディ・マレーに2set up から敗れる。この試合がマレーとガスケの分岐点だという人もいる。この後、なんだかずるずると、負けてはいけない選手に負けてしまう状況になる。
10月錦織くんフィーバーに沸くジャパン・オープンでは、3回戦でその錦織くんと対戦。当時ガスケ13位、錦織くん84位。格の違いを見せつけるプレーで、ガスケが圧勝。やみくもに錦織くんを応援するおばちゃんたちに時折イラっとしながらも、私はひっそり有明の3階席からガスケのプレーを堪能した。錦織くんは試合後「ガスケを尊敬しすぎてしまった」とコメント(これ以降、とても楽しみにしている対戦)。ガスケはその後準決勝でファン・マルティン・デルポトロに敗戦。これ、いい試合だった。この土曜日のお昼頃、初めてガスケの練習を見る。肩から背中にかけての筋肉に驚く。

2009年
3月マイアミ大会後のドーピング検査で、コカイン陽性反応が出る(5月)。ITFから2年間の出場停止が言い渡されるが、ガスケはナイトクラブでのキスによる2次的摂取だと主張し、スポーツ仲裁裁判所に処分取消を求めた。ガスケの主張が認められ、8月ツアーに復帰した。いろいろ、えっ!? とか、えーっ?? な事件であった。何はともあれ、復帰できて本当によかった。一時は、72位までランキングを落とした。復帰後の全米では、1回戦でナダルとの対戦になる。
10月、そんなことがあり「今年は有明で見られないのか…」と思っていたけど、復帰が決まり有明にも来てくれた。ところが2回戦で同胞のジョー・ウォルフライ・ツォンガ(当時7位)と対戦。この日は風がものすごく強く(コート脇の看板が動くほど)、集中しきれていない様子で敗戦。ツォンガは優勝した。

2010年
5月ニース大会で2年8か月ぶりの優勝。ツアー6勝目。6月、昨年出場できなかった全仏は1回戦でマレーにフルセットの末敗れる。クイーンズ大会では1回戦で錦織くんと対戦。互いにランキングを落としていた時期だけれど、天才ふたりの芝での対戦はおもしろかった。
10月、この年もジャパン・オープンに参戦。30位のガスケは1回戦が外の(たしかNo.1)コートだった。そこで見られることにびっくりし、ガスケの状況を思った。当時のコーチ・デブリッカーさんがすぐそばにいて、何か言おうかと思ったが何も言えなかった。2回戦ドミトリー・ツルスノフに敗戦。この時はとてもイライラしていた。敗戦後すぐに友人ガエル・モンフィスと組んだダブルスの試合も行われ、ファンとしては楽しめたが、これも敗戦。モンちゃん、もうちょっとちゃんとやってね、と思った。これ以降、ガスケは有明に来ていない。 

2011年
5月ローマ大会で、フェデラーに勝利。私がローラン・ギャロス行きを決断する。初めて見たのは3回戦の対トーマス・ベルッチ。勝利し、全仏では初の4回戦進出を決める。この日の午前中、外のコートで錦織くんのダブルスの試合を見ていたら、No.13コートで練習を始めたガスケを発見。フィジオのポールさんから使用ボールをもらい、初めてサインをもらうことに成功。人は本当に驚くと声が出なくなることを実感。

2012年
1月ホップマンカップにマリオン・バルトリと共に出場。決勝でチェコに敗れる。
6月、私にとって2度目のローラン・ギャロス。2回戦対グリゴール・ディミトロフで、長いラリーの後、ディミトロフは痙攣。ガスケは嘔吐の現場に居合わせる。3回戦対トミー・ハースでは、ガスケのキレキレのプレーを堪能した。その後、4回戦でマレーに敗れる。
7月ロンドンオリンピック、ジュリアン・ベネトーとダブルスに出場し、銅メダルを獲得。自信を取り戻したように思う。ベネトーさんに感謝。8月トロント大会で、6年ぶりのマスターズ1000決勝進出。ジョコビッチに敗れ、準優勝。9月バンコク大会で優勝。ランキング10位 となり、最終戦(ロンドン)にアルタネートとして同行。トップ選手の練習のお相手を努める。

2013年
1月ドーハ大会、2月モンペリエ大会で優勝。
6月、私にとって3度目のローラン・ギャロス。雨の影響で、観戦できたのは3回戦対ニコライ・ダビデンコのみ。デンコさんの鋭いショットにおびえながらも、大歓声の中、かっこいいガスケらしいショットを堪能。その後、4回戦で2set upからスタニスラス・ワウリンカに敗れる。ツライ結果だった。
8月モントリオール大会の3回戦で久しぶりに錦織くん(11位)と対戦。1st setを獲られるも、その後ガスケが挽回。中盤以降は錦織くんが何もできない状況になる。ふたりの対戦は年々おもしろくなる。
私は初めての全米オープン行きを決める(詳細は本編参照)。4回戦で靴下を投げつつも、ラオニッチにフルセットの末勝利し(これまで16回グランドスラムの4回戦に進出し、突破したのは1回だけ)、準々決勝では苦手(対戦成績1勝8敗)のフェレールからこれまたフルセットの末勝利し、6年ぶりのグランドスラム準決勝進出を決めた。SFでは、誕生日が15日早いナダルに敗れた。13歳からお互いを知る、ナダルとの対戦成績は0勝11敗となった。
秋、最終戦の出場権争いが熾烈になり、バンコク大会から6週連続出場することとなる。10月モスクワ大会で見事に優勝。パリ大会。錦織くんがツォンガに勝利したことにより、ガスケ6年ぶり2度目の最終戦出場(ロンドン)が決定。ラウンドロビン3敗でシーズンを終える。
シーズン最後のジョコビッチ戦を待たずに、コーチ、リカルド・ピアッティさんとの関係に終止符が打たれる。セルジ・ブルゲラ氏(RG 2度優勝)を新しいコーチに選んだとのこと。

Photo by Getty

2014年
9位で終えたシーズンのオフは忙しく、きっちりトレーニングができなかったのか?どうも調子が出ない。ただし、今年のおフランスチームはDavis Cupにかける思いが大きいようで、R1 vs Australia は、ツォンガとふたりで乗りきった。2月、去年優勝したモンペリエ大会では、決勝でモンちゃんに敗れる。3月、マイアミ大会で腰を悪化させる。4月のDavis Cup QF vs Germany は腰痛のため欠場。応援に徹する。T.ハース、F.コーリー、F.マイヤーさんのいないドイツチームに対して、ツォンガとベネトーさんがまさかのシングルス2連敗で、万事休すか?と思ったが、2日目、ロドラさん&ベネトーさんのダブルスから挽回し勝利。ホッとした。
5月、ローランギャロスにも出場できるのか?心配な状態が続いたが、どうにか出場。R3でF.ベルダスコに敗れる。そういう状況だったので、この年はKis' Day と1、2回戦を観に行った。
6月、比較的相性のよいイーストボーン大会では、決勝進出。F.ロペスに敗れる。芝のシーズン、期待できるのかな〜?と思いきや、本番のウィンブルドンでは、R2、新鋭、N.キリオスにフルセットの末、敗れる。数年前によく見た「らしい」敗退であった。
ハードコートシーズンに入り、ボコタでは無名の選手に敗退。ワシントン大会では、初めてランキングを抜かれた錦織くんとの対戦にも勝利を納めたが、続くSFでは、期待の若手、V.ポスピシルに敗退。続くトロント大会では、R1でまたもやポスピとの対戦となるが、今回は勝利。R3でA.マレーとの対戦となったが、腰痛のため棄権。久しぶりのアンディとの対戦が見たかった。
8月、全米オープンも出場が危ぶまれたので、R1から観に行く。D.イストミン戦は、危なげなく勝利。R2のP.ロレンツィ戦は、キレキレのガスケのプレーが堪能できた。しかしながら、R3でモンちゃんに敗れる。モンちゃんがキレキレだったらしい。
9月、Davis Cup SF vs Czeco では、ローランギャロス、満員のフィリップシャトリエコートで、T.ベルディヒに対し、力強く勝利した。10月、東京には来ず、北京を選んだが、R1 vs R.ナダルに敗戦。だから東京にしておけばよかったのに。その後上海とパリでもパッとした成績は残せず。Davis cup、スイスとの決勝にすべてをかけ、ガスケはダブルスから出場したが、R.フェデラーとS.ワウリンカに、おフランスチーム優勝の夢は砕かれた。



(2015. 2)



Richard Gasquet.net(公式)